2009年1月
 
<1月28日>

【優先順位も視点次第】

ひっさしぶりに洗い物と洗濯をした。

炊事・洗濯よりも近況報告やブログを優先させているおれはやっぱり変だと思う。

生活を安定させるには、安定した職業につき定時に出社して定時に一度仕事を終え残業をし稼げばよいのは、分かる。その次に、炊事・洗濯・掃除をし、余暇の時間で趣味をする。安定って視点からの優先順位だと思う。

視点を「楽しいかどうか」に変えると、優先順位はおのずと変わってくる。炊事・洗濯が楽しい時も、そりゃ、ある。(じゃ、楽しくなるまで待てばいいじゃない)ってこと。実践すると、生活の安定はゆらゆら揺らぐはず。

おれの人生が、今、充実しつつある貧乏なのが、なんとなく理解できた。




 
<1月27日>

【転ぶ】

「転ぶ」の読み方に、「ころぶ」と「まろぶ」とあってテンション上がった。
(まろぶ…まろぶって何っ!!?)
漢字変換「麻呂ぶ」平安なニュアンスぽわぁ〜ん。
ぽわぁ〜んなまんま、さらばっ!!




 
<1月26日>

【論理的な疑問そして混乱】

道端に一冊の本。小学校の教科書だ。空はどんよりと曇り、今にも雨が降り出しそう。

(濡れたら、持ち主ヘコむだろーな)と思い、名前を確認した。整った大人の字で名前が書いてあった。
(近くに同じ苗字の表札探して、それでも無かったら…暗くなる前に近くの小学校をいくつか回るか)と決め、優先度の高い用事を数十分ほどこなした後、小学校へ行った。優先順位通りに済ませると物事がすんなり捌けることを人生で学んだからだ。

1つ目の小学校で、持ち主は見つかった。
校長先生が対応してくれた。身分を伝えつつ教科書を見せながら「拾って届けに来た」旨をしゃべったら、固い態度が感謝の態度に切り替わった。対等目線での感謝で、とても助かった。日頃上から目線で人とやり取りしがちな校長の中には、ほとんどの人間に対して上から目線でやり取りする人物も、職業病というか、それなりにいる。対等な人でよかった。

教科書を渡す際「お礼する先を教えて欲しい」と言われ「お礼先よりも、ぼくにとってはその教科書の持ち主が今外を探しているかもしれないことの方が大事です。今日中に連絡していただくことの方が、ぼくにとっては大事です。」と返した。
3回ほどお礼先を聞かれたので、自分に言える範囲で、答えた。
お互いに挨拶をし終えて、目線が切れた瞬間、その校長先生は職員室に入り、連絡する手配をしていた。

(動きが早いな。生徒のことを大事にしているんだな)と、思った。


場所は変わって実家。


実家には月に何度か戻っている。

戻っては、
・本人の幼少期を知る両親の同席が必要な診断を受けたい。
・親と自分とそして診察する医師の都合が合う日を知りたい。
・予約制の診断で1ヶ月半程前に電話で伝える必要がある。
これらのことを紙に書いて、毎回、伝えている。

伝え始めて、かれこれ1ヵ月くらいになる。
「書いておく」的な生返事は、何度か聞いた。行動に移してはくれていない。

(あの校長先生が生徒を大事にしているのは分かる。…おれのことは果たして大事なのだろうか)という論理的な疑問が生まれる。そして、混乱する。

「正直に話していいなら、話す。」

父は、無言だった。
時間を置いて育ての母へも聞いてみた。

「混乱している。話せば混乱は和らぐ。正直に話していいなら、話す。」
「もうよかたいっ、そんまんまでよかたい。」
「(この人にも正直に話したらダメなんだ)じゃ、混乱したままでいるよ。」
「混乱したままでおったい。」

言い方がカラッとしているんで(あー、何か、勘違いしてそーだな。言うとまた荒れるし、混乱し続けて落ち着くなら、混乱し続けよう)と思い、黙ってジッとしていた。
(あの校長も、仕事だから迅速に動いたんかなぁ。それとも生徒が大事だからなのかなぁ。他人である校長から生徒へ向けた愛と、親から子へ向けた愛と…どーなんだろーなぁ。ま、実家じゃ正直でいたらダメっていう今まで通りの目安を確認できたし、いっか)と、思った。



論理的な疑問が混乱へと伸び、悲しい諦めという結論になる。



(まー、毎度の事だし、しゃーないか)と、やはり、思う。人生30年くらいやってると、さすがにもう慣れた。でも、やっぱり、さびしいな。
(おれは変なんだから、しゃーないや)と割り切って、明日も生きていこう。




 
<1月25日>

【数日遅れの近況】

(近況報告ド真ん中なのにし忘れてたのあったや。)

おれクオリティなんで期待せんといて。


オフラインでの流れの結果、新たにブログを持つことになりそう。


まさに近況報告。

大義名分かは分からんけど、オフラインで交流のある人との共同プロジェクト的な側面のある約束で「少なくてもいいから経済的な結果を出す必要」があるのよ。で、手伝ってくれた人に還元することも目的の一つにあるんだ。

(ウソにならず気ラクに更新できるようように、ブログタイトルなどなどコピー出す必要があるなぁ。手を広げすぎると破綻しそうだし、そこら辺の按排とかも。)

ま、なんか動き出すよ、と。オフラインからオンラインに派生するよ、と。てかオフとオンとそれほど区別しちゃいないおれはまんまで行けばいいのか。義務的側面の薄いブログだし、そういうブログの性質のおかげで気ラクにできるし、なによりやってて充実しそうなことだし。時期は分からんけど、そーゆーことを新たに始めるっつーお話でしたペペペンペン。




 
<1月24日>

【精一杯は充実に繋がる】


昨日は生きた。


今日を生きる。


明日も生きよう。




いつしか人生になっている。





 
<1月23日>

【カッコの中身は当たり前なのかもしれない】

ここ数日で気づいたことがある。
人が「当たり前」という言葉を発する時は、「(自分にとっては)当たり前」の意で使われているようだ。

先方「相手に敬意を持って挨拶するのは当たり前のことだと思うんですよ。」
おれ「ぼくも、そう思います。お客さんと利用者、同僚、友達、敬意の払い方はケースbyケースだと思います。」

この会話も、

先方「相手に敬意を持って挨拶するのは(わたしにとっては)当たり前のことだと思うんですよ。」
おれ「ぼくも、そう思います。お客さんと利用者、同僚、友達、敬意の払い方はケースbyケースだと思います。」

括弧書きがあると、(おれには)すんなり理解できる。

(当たり前という日本語を一般化して使うと危険だな。「自分にとっては」と思いながら使った方が理にかなっているな…というか、個人間で話す時、いろいろな言葉の頭に括弧書きであるはずの、知らず知らずのうちに省略している「自分にとっては」を心に過ぎらせた方が平和かもな)と思った。




 
<1月22日>

【ジレンマ】

大事なことには特に腰を据えて取り組む。


このおれの一見プラスにも見える特徴が、逆に働くことがある。
最近の例だと、ブログでの対談だ。
対談は、おれにとって、とても大事なこと。
片手間ではやりたくないこと、片手間ではやれないこと、片手間でやったら先方に失礼なこと。
腰を据えて取り組むには、解放された時間が必要だ。まとまった時間が必要だ。
まとまって…6時間くらいかな、ホントに解放された時間は、ここ数ヶ月、週末だ。
24時間以内に次の予定があると、どこかハラハラ追われている感じがする。解放されてはいない。
「追われやすい」…我ながら、厄介な性格だと思う。

週末、時間がある。別所での記事を書く。多少なりともおれの人柄ではなくて情報を求めている人がいる。人柄なら、友だち数人はいるので、生きててゼロではない。能力だと、分からない。情報を求めに来る人にとって必要なのは、能力だろう。その能力の中にオマケで人柄がプラス方向に働くならベリーグッドだ。能力を必要とされるのなら、1対多の半ば社会的な構造でも成り立つ。どうやらおれはおれのまま社会と関わりを持ちたいらしい。マイナスでもゼロでもなく、微量のプラス以上で、社会と関わりを持ちたいらしい。だから、情報として成り立っていそうな記事を書くのだろう。

そうすると、対談は未来に送られる。
大事なゆえに、未来に送られる。

大事なことには特に腰を据えて取り組む。


このおれの一見プラスにも見える特徴が、逆に働くことがある。
ジレンマだ。

伝え方が分からないので、今、分かる限りで書いてみている。

大事にしたい。申し訳ない。

特に大事なことを抱えた時にしばしばおちいるジレンマ。
クリアでスマートな解決方法が欲しい。おれの頭が良かったらいいのに。




 
<1月20日>

【いつもと違うということに対して自然に】

起きたら腰が冷えていた。
(あら?今日、なんかヘンだぞ。いつもと違うぞ)と、思った。
なので、普段と違う一日を過ごした。

一日の行動パターンを(今日、なんか、違う)と感じたズレと同じくらいにズラした。
そういうことをしたのは、ちょっと前に「アカギ」に触れた影響もありそうだ。ぽんぽん。




 
<1月19日>

【こだわっていること2つ】

ここ数日で、気がついたことがある。自分にとって興味のあることを統合する概念だ。

『ゲーム・肥満・アスペルガー』

おれが、残したい・表現したい・発信したいなどなど思っていることに共通する概念だ。

社会から見て足引っ張ってる的に捉えられがちなところに誠実に向き合って、なるべく多くの人役に立つ。

ありがちな表現だと、マイナスをプラスに変える。

まずゲームについて。

社会には、ゲームを息抜きとして楽しんで、明日の仕事の活力を得ている人もいるだろうし、というか、ゲームに携わることで生計を立てている人もいるだろう。個人的にはゲームも映画も同じエンターテインメントという土俵にいると思うのだが、生きてきてみて映画の方が優遇されている気がする。(それはおそらく映画がまずその時代の大人に受け入れられたからなんだろうな)と思う。その時代の社会を動かしている人たちに受け入れられた娯楽は、そりゃ、成り立つっつーか認められるだろうと直感的に分かる。

ゲームと映画の関係に似たものに、マンガと小説があると思う。今、たしかマンガ業は鉄鋼業(だったけかな?)の経済規模を上回っているらしい。ということは、マンガも社会的に充分に娯楽として認められ受け入れられて自然だと思うのだが、小説ほどの市民権がないように感じる。

ゲームもマンガも、その時代の子どもに受け入れられたから、社会の中で成り立ったり受け入れられたりするのに、子どもが大人になる…そして社会の中枢に携わる…ということは、ザックリと10歳〜40歳の期間…30年か、映画や小説が社会に受け入れられたタイミングからおよそ30年ほど遅れて社会に認められる読みを立てることができる。

次に肥満について。

肥満についても、個人的に、「人間という生物として生きる」という観点から見たら、痩せていても太っていても標準から離れているという点でどっちも同じなのだから、というか、人として見たら体脂肪率の高低なんてそこまで大きいことじゃないろだろ、と思う。

肥満にはリスクがあるだろうし、そもそも、肥満は異性関係でマイナスになりがちだ。体重というものが、人間を生物として見た時、実際に生きてきて、非常に重要なファクターに思える。実際に生きてきてそう思うということは、人間を社会的な生き物だと捉えた時に、体重というファクターがおれが思う以上に効いている…ということか。

そしてアスペルガーについて。

アスペルガーについても、おれは個性だと思うのだが、健常者に分類される人とコミニュケーションをとってみたところ、病気だったり「大変な足枷」だったり、そういう風に捉えられているようだ。

『ゲーム・肥満・アスペルガー』

社会的に、どーもおれの認識と、ズレがある。

で、ここで「ズレ」言い換えれば「変」という「マイナス」に捉えられがちな部分を『珍しい・貴重』というプラスとして表現できれば、それは一つの価値になり得るんじゃなかろうか、と思う。貴重は言い過ぎたと思う。「奇異」くらいが妥当か。

つらつらと書いてきたのだが、

『ゲーム・肥満・アスペルガー』

つい最近まで自分の中で(別カテゴリなんだけど、なぁーんか、共通した、おれにとって大事な共通したナニカがあるよなぁ〜)と思っていた三つのことについて、

『社会から見て足引っ張ってる的に捉えられがち(で、おれに密接に関わっている事柄)』という共通した概念を手に入れた。

で、おれのこだわっていること2つ。

1.日本語。
2.社会から見て足引っ張ってる的に捉えられがちなところ(で、おれに密接に関わっている事柄)に誠実に向き合って、なるべく多くの人役に立つ。

(2つ、もしくは3つまでなら、なんか、自分なりに納得できる表現ができそう)と、素直に思える。あ、時間は掛かるよ。

そういう、あとで自分で読み直す用の、つらつらとした、話。




 
<1月15日>

【未来予想図】

おれから話題を振られた友達との会話形式で記述。

「あのさ、お水の花道のビデオ借りに行かねぇか?」
「なんでお水の花道なんだよ。」
「あの、おれ、この前…ぜんざい作ったんだよ。」
「だから何なんだよ?」
「お水の花道にさ、出てただろ?!ぜんざい直美。」
「…帰れ。

さぁ、予想は当たるのか?結果はおそらく近日中っ!




 
<1月14日>

【ぜんざいの作り方】

1.缶入りのあずきを買ってくる(分量によっては、パック入りを選ぶ)。
2.餅を用意する。
3.鍋にあずきと水を入れる(水の分量は経験で覚えていくらしい)。
4.砂糖と塩を入れる(分量「塩<<<砂糖」)。
 (砂糖と塩のあんばいは、失敗して覚えるくらいの気持ちで可。)
5.煮立てる(時間があれば弱火で、技術があれば強火でも)。
6.餅を投入する。
7.餅が柔らかくなったら、できあがり。


実際に作ってみて(え?こんなにカンタンなの!?)と思った。
あと、「ぜんざい」って「善哉」って書くのをつい数分前に知った。



 
<1月13日>

【松ボックリ拾いの思い出】

今日、小学校〜中学校までの人生が色濃くクロスしていた友達…の母親に会った。数年前、その母親とぼくとで、30kmほど離れた山へ松ボックリを拾いに行ったことがある。

同年代の友達との当時の会話。
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意味が分からん。『成人した男性が友達の母親と二人で遠出して松ボックリを拾いに行く』まったくもって、意味が分からん。
「松ボックリ拾いに行くの、おもれぇぞ。成人して熟年の女の人と2人で松ボックリ拾いに出かける成人男性は稀っつーのも分かる。」
「分かっててもするんだろ…やっぱりオマエは変だよ。」
「おう。おれは変だよ。オマエを誘わない分別はついてるから、えぇやろ。」
「まーな。おれそれに誘われたらオマエに蹴り入れるぞ。」
「ケリ、入れられてみてーな。」
「オマエやっぱり変人だな。」
「そんなこと、分かりきったことじゃないか。」
「だよな。わりぃ。」

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『友達の母親と松ボックリを拾いに行った』ってことで、話ができるじゃないか。
(変人がフツーに生きてたら、話のタネには困らなさそうだな)と思った今日の出来事。

友達の母親は、今年還暦を迎えたそうです。
「おぉー!!もっと若く見えますよ。」
「あらーありがとー。ウソがないからうれしいわぁー。」
「どうもー…てことは、誕生日おめでとうござい…ます?」
「ありがとー。」
「どもどもー。機会が会ったら、また、松ボックリ拾いに行きましょー。」
「そうなのよぉ〜。機会があればねぇー。ウチに遊びに来てよー。」
「分かりましたー。」


この人も、ぼくが変人だってことを知っている。
「変人で、そのままでいいじゃない(ワタシに不都合無いから)」的なやり取りをサクッとカラッとしてくれる。

(ワタシに不都合無いから)も含めて、とてもありがたい。
(ウソがないっていいな)と思う。




 
<1月11日>

【「他の人間を置いて逃げるのがリーダーですか?」】

某所(オフライン・酒の席)で何度も何度も「他の人間を置いて逃げるのがリーダーですか?」と詰問されたことへ対するおれなりのこたえがまとまった。ここ2週間ほどの命題で100回以上は自問自答したこと。で、(言っても通じない相手だな)と現場で判断した(おれ酒飲んでなかった・相手さん飲んでた)んで、A4用紙一枚にタイプして渡した。
「人よりも先に危険を察知することができるのは、リーダーにとって重要だと思う。」つってんのに、「他の人間を置いて逃げるのがリーダーですか?」って何度も詰問されたら、そりゃ(言っても通じない)って判断するっ!っちゅーねん。あ、お互い末端な人間。

Q.「他の人間を置いて逃げるのがリーダーですか?」
A.「時と場合によると思う。」

<詳細>

危険を察知する能力はリーダーにとって有益な資質の一つであるが、危険を察知した後に「戦う」か「逃げる」か「その他の行動を選ぶ(他を置いて逃げる)」かはその時の状況次第であり、また、「好き」「嫌い」の話になるので、「他の人間を置いて逃げるのがリーダーですか?」という質問へのぼくのこたえは、「時と場合によると思う。」になる。「毎回交戦を選ぶ」のは、リーダーではないと思う。
(信長、秀吉、家康、曹操、企業の社長:撤退した例も数多くある。)

</詳細>

話の内容的に、1月11日付けで残したいと思ってた。

リーダー論、1の並ぶ日付でUP。




 
<1月10日>

【5分から10分】

>近況報告、休む時は遠慮なく休むよ。
>途絶える時はピタッ!!と止まると思う。
ま、さ、か、の翌日更新っ!!

いやぁ〜、更新にかかる時間が5分から10分だと隙間の時間にチャチャっとUPできるぅ〜。

5分から10分で思い出したんだけど、今日、息が多少あがるまで泳いでたら、5分から10分の間だったんだ。
水泳、5分から10分のインターバルから始めて、徐々に体力やスタミナをつけていく予定。
っと、書き始めてそろそろ10分になりそうなんで、今日はこんな感じでサラd…サラバダーっ!!




 
<1月9日>

【近況報告の限界】

(どこまで近況報告と言える?)

毎日、週一、月一、四半期に一回、半年ごと、一年に一度…。

セリフで考えてみた。

≪近況報告って言葉を使いそうな場面(年賀状)≫
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パターン1
「近況報告に、年賀状を送りました。」

パターン2
「ご無沙汰しています。連絡が途絶えて、もう10年になりますね。近況報告に、年賀状を送りました。」

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Oh!間口が広いぜ近況報告っ!!
と、いうわけで、近況報告、休む時は遠慮なく休むよ。
途絶える時はピタッ!!と止まると思う。

「近況報告なので、毎日更新ではない。」
「近況報告なので、毎日更新って形になるパターンもある。」
「近況報告の頻度は、さじ加減一つ。」

こういうことを伝えたかった。それではダバダバほんだばだぁー。




 
<1月8日>

【茶飲み話】

つらつらと書いているどこぞの誰かの近況報告スペースにようこそ。

基本、なんも出らんよ?!
PCを挟んでだと、茶すら出らんよ。

(特に得するわけでもねーのに、よー見にくるよなぁ)特と得…プププっ。おれなんて一度召されちゃえっ!!…ゴメンなさい、生きていたいです。

あ、茶を飲みたければ最寄のポットなりきゅうすの力を借りるといいよ。
おれのいる部屋にゃ、ポットもきゅうすも茶もねぇよっ!!…つーわけで、茶飲み話もできねーよっ!!あぢゅぅ(お湯で舌を火傷しながら)。




 
<1月7日>

【ニートではなく、ニートである】

Web大都会からやっていらした方々の波も収まってきた、このタイミングで書きます。
読者になってくださった方、ありがとうございます。

えっと、ぼく、食いつなぐ分は、稼いでいます。
父曰く「そがんとは働いとる内に入らんっ!!」

なので、ぼくは、視点次第で、ニートではないし、ニートでもあります。
(視点次第では、近況報告かな)と、思います。
アダンバ!!(←ノリで作った締めの挨拶。特に意味はない言葉。クラムボンのようなもの。)




 
<1月6日>

【チェンジTHEさぶろう】


久しぶりに「おじゃる丸」を見たら、オープニングソングが変わっていた。




 
<1月5日>

【自分を把握する旅】

「おれが変人である」ということに対しての科学的見地からの保証を得るために、昼間、動いた。




 
<1月4日>

【昼夜逆転の逆転】

この正月で外山恒一的に言うと多数派の人たちと会う必要があり会っていたら朝起きて夜寝るという生活サイクルになりましたWaoh!健康的ぃ〜♪あと、このタイミングで外山恒一を出すおれの脳みそはちょっとキテると思いました。




 
<1月3日>

【友だちと会うための一日何回かの更新】

ここ見てたら、その人と会えるように段取りしたい。その段取りは、おもしろい。

Webがあったから、ここがあったから、会えた。

(あ、ちょっといいかも。)

午前9時半。
某BBSに書き込む。容量オーバーのため表示できません的表示(ナンテコッタイ)。
ブログの長谷川ラーメン記事へのコメント、使わせてもらいました。
さーて、会えるかなぁ〜。レアキャラ…つーか、変人なおれと良識的なその友だちは会えるのか!?

今日、数時間おきに、更新する予定です。

午後1時半。
Web経由で音楽を聴いて、タイミング(奥田民生さん)で、泣いた。
「ヘンに合わせすぎても、たぶん、ツライだけさ。」
変人のおれが人に合わせるにはヘンに合わせる必要があって、人生の経験がフラッシュバックして、心の芯に、入った。

午後2時半。
キビシイみたいとのこと(りょーかいりょーかいアイアイサー)。
結果、「何もいえなくて、夏。」の感じになりました。

「今回の帰省では会えない」という結果だった。だが、イベントとしては、充分におもしろかった。ありがとう。了。




 
<1月2日>

【本人と身近な人間が…】

アスペルガー症候群に分類される本人と、その身近な人間は、お互いを大切に思うため…そして、その大切に思う表現方法が異なるため、チグハグさが生まれ、そのチグハグさが軋轢となりがち。


今日、ビッコリ当てはまる出来事が、あった。コタツを挟んでヒートアップ。




 
<1月1日>

【この山奥の芋が美味ければいいなと思う】

はいどうもー。2日前、怒声の飛び交う中、窓から逃げた者です(何したんだよ!)。
命って、大事だな)と、しみじみ思いました。


えぇ〜さて、オフラインの世界にも、オンラインの世界にも、都会と田舎はあると思うのです。
見て「数人/1日」のこの近況報告に、Web大都会からお越しいただいたみなさん、去年までここはWebの山奥みたいなところでした。

劇的に一日で変わりました。

「サイト開設から約1年の延べ閲覧者数<今日1日の延べ閲覧者数(スゴイ!ゴイス!)」

『ろじぱらという名のテレビ局』

山奥にとっては、こんな感じです。
(私信:あ、ろじぱらでググるといいよ>サイト開設当初から読み手になってくれている友だち。スゲーから。つーか、このスペース自体が私信みたいなものか。)


「一日数万人に購読される雑誌を一人で作った人」くらいスゲー。


スゴくねぇ?ね!スゴクねぇ?…アレ?おれ今ウザくねぇ?(ま、いいや)。
…とまあ、山奥で自分なりの芋を作っていて、機会があったんで、街を持っている人に手紙一枚だしたら、山奥行きのバスを準備していただけた。そして、芋をいろんな人に手にとってもらえるようになりました。アリガタヤー、アリガタヤー。


山奥への道が一夜にしてできる。


(Webってスゲーな)と実感する瞬間です。
山奥への道ができた、ということは、ここは相変わらずの山奥。
新しくいらした方にとって、この山奥の芋が美味ければいいなと思うのです。

あけまして、おめでとうございます。








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