2009年6月
  
<6月30日>

【症状が出て、涙ぐんで感謝されて】

今日、日頃通っている健康施設で、症状が出た…というか、爆発した。
爆発させるにしても、なるべく他者満足で爆発させたい気持ちがあるので、職員の人を挟んで、パートの人に気持ちを訴えた。汗ダラダラになりながら、気力を振り絞って、一生懸命、訴えかけるように伝えた。

パートの人は泣きそうになりながら、鼻をグシュグシュさせながら、

「大変申し訳ございませんでした。勉強になりました。本当に、本当にすみませんでした。」

「てめぇ勝手」や「自己保身」ではなく、心の底からの謝罪と感謝だと伝わる感じで、言われた。

(オマエはさぁ、金を払って人を変えて、なんなんだろうな…勿体ねーな)

いつもは手厳しい脳内の指摘が、どこかしら、優しかった。




  
<6月29日>

【肩コリ→頭痛】

起きて2秒後には頭痛がしてた。
(うーっわ、メンドクサっ!)と思って、ひとしきり活動して、温泉に行った。
他にも、肩コリを緩和するのに有効だと感じていることを、いくつか行った。
頭痛は緩和され、やがて消失したのだが、肩の張りは今でも残っている。
(肩が張ってることで弊害出てないし、いっか。ぼちーぼちストレッチしてれば良好になるだろー)と、そこそこ安堵した。
メンドクサイ健康体な我が体と、これからも、程好く付き合っていこうと思った。




  
<6月28日>

【1/2=12=360゜】


そのくらい、寝てた。




  
<6月27日>

【Mixi】

読む人が増えたっぽい。いや、読んだことがある人が増えたっぽい。
ミクシィからの来訪というか、ミクシィのメッセージ(ってあるのかな?)からの来訪があって、


「ここにバカがいるよっ!稀に見る数奇なバカがいるよっ!!」


(こんな感じで紹介されたのかなぁ〜…ま、おれはバカだから、いっか)と、思ったのです。

茶も出ずに、更新頻度は気分次第。そんな感じの近況報告、距離感を保って、生温かく放置してて下さいマル。




  
<6月26日>

【自閉症的通行許可書】

半年がかりで、Get。法的拘束力等々、公的な力、ナッシング。たーだ、今後の人生で、対人関係で役立つツールになりそー。



  
<6月24日>

【メンドクサイ個体】

3日ほどメンテナンスを怠ると再発してくる肩コリ持ちで、見た目は五体満足ながらも、生まれながらにして脳の一部が壊れている、本人がメンドクサイと思う個体な自分。

メンドクサイながらも健康の範囲内(経済的には??)で、そういう風に生んでくれた母に感謝している。



メンドクサイはオモシロイに移行し易い。



そのメンドクサイ個体は、経済的報酬と共にお願いされた依頼(これは仕事というのだろうか?)を、自分のペースで進めている。一時間くらいすると「ふーっ」となるので、一日一時間程度で、進めている。納期までの計算をしながら、一日一時間程度で進めている。

月末には自閉症関係の用事があり、いろいろ重なると…ハィ、やってきました睡眠導入障害っ!(あいたたたぁ〜…マジめんどくせぇ)。

メンドクサイ個体ながら、日々、元気でやっています。




  
<6月23日>

【エイリアンの方が売れると思う】

自閉症をエイリアンと評する本に出会って、当事者としては、エイリアンよりもフォーリナーの方がありがたいと思った。

世間の大多数の人にとって、「エイリアン」と「フォーリナー」では、「エイリアン」の方が、言葉のインパクトはデカいと思う…ということは、書店に並んだ時、購買者の目に止まり易いということに繋がる。資本主義社会においては、「より売れるコピーを選ぶ」という行為は、至極全うだと思うし、理解できる。

「0」「1」で物事…、というか、この世と付き合っているぼくとしては、数多くの「0」「1」、多種多様な「0」「1」、より平和な「0」「1」の視点を持つことが、地球の中の人間社会で生きる時に、とても大事なことだと感じている。

エイリアンとフォーリナーについては、穏やかでいられる視点を既に持っていたので、ホッ。




  
<6月22日>

【平等な人間関係】

友だちは平等な人間関係の一つだ。厳密に言うならば「お互いが平等(対等)を意識し合っている」人間関係、か。

人間関係が薄かったり浅かったりすると、擬似的に平等な人間関係を築くことができる。(擬似的な平等を知能で理解して活用しているんだな)と、自閉症という視点を得てから、理解できた。
人間関係が濃くなると、ぼくは、ほとんど、うまくやれてない。自閉症の持つ特徴と、ものすごく被るパターンで、ほとんど、うまくやれていない。

結果、
・極端に浅い人間関係。
・お互いにとって程好い距離感を保っている人間関係。
・極端に深く強く濃い人間関係。
大まかに、この3種類の人間関係に絞られる。

で、その「ほとんどうまくやれていない」中にあって、人間関係が続いているパターンがある。(ぼくにとって)ありがたい人たちが、両の手で数えられるほど、いる。この世にいてくれている。とてもありがたいことだ。

距離感は関係ごとにそれぞれあるも、人間関係が程好くて平等な人たちは、ぼくにとって、みな、ありがたい。Web上の読者さんも、程好い距離で、ありがたい。共通しているのは、平等。

ぼくにとって、平等な人たち、これからも、同じように、よろしくおねがいします。




  
<6月21日>

【3択の人間関係】

人間関係が「支配」か「服従」しかなかったら、人は「支配」する側に回りたがるだろう。

「支配」と「服従」の人間関係に「平等」が加わったら、ぼくは「平等」を選ぶ。だから、Webって広場が好きなのだろう。




  
<6月20日>

【気分良く生きるコツ】

(昨日言ってた現場に行ってみたいな)と思った。

行動するのに理に適った動機付けがあると、おれにとっては吉だということを、人生経験で得てきたので(脳は寝ている時に情報を整理する。なるべく早い段階で物事に出会っておくと寝る回数…つまり脳が情報を整理するチャンスが増えるということ。なるべく早く動こう!)と、社長であり元級友で今は友だちと知り合いの間くらいの関係の人がやっている会社に、行ってみた。

接客中らしく、20分ほど必要とのことだったので、行きつけのコンビニへ移動し、ソフトクリームを食べるなどして有意義に過ごした。
20分ほど経って戻ると、商談が成立していたようで、現場行きが決まった。

現場に行ってみた。具体的に見てみた。

「前の人がやったのと同程度でいいなら、できるよ」
「じゅーぶん、じゅーぶんっ!」

経費を差し引いたおれの手取り、1本ということになった。
(多いな)と思い、7〜8割程度を提案したが、1本ということになった。
(余計に貰うと思った分は…友だちの子どもになんか買うか。それなら気分的にもスッキリする)と、「0」「1」で思考するおれは、新たな視点の「1」を立てて、報酬を、1本貰うことにした。

時は3時間ほど過ぎて。対象も知らない人に代わって。

夜の国道を単車で移動していたら、道路脇に一台の車が止まっていた。

(通行のジャマだな)と思った後で(困っているなら助けたいな)と思った。

ヤンチャしてそうな若い人が、Myカー(アメ車)を、修理してそうな雰囲気だった。
(こりゃ、困っとるな)と判断し、若者のところへ移動した。

「手伝えることあったら、手伝います。時間、あるので」

茶髪でツナギを着た若者は、話を聞いてくれた。
どうやらオイル関係のトラブルのようで、ヘタするとエンジンが逝っているかもしれないとのこと。


自分の力量の範囲内で、余裕(というか遊び)を持った状態で、できる限りで。


「距離感さえ合っていれば、近すぎる関係にならなければ、穏やかな人間関係を築ける」ことを人生で経験してきたので、

・車の持ち主のケータイで、エンジン内部を照らす。
・車の持ち主がエンジンを掛けている時、車の持ち主が配線した状態に、バッテリーを保つ。

この2点に、

・話し相手

もう1視点を加えて、時を過ごした。
エンジンが一向に掛からないので、茶髪のにーちゃんは、ケイタイで、助けを呼んだ。同僚にレッカーしてもらう段取りをしたようだ。

(こりゃ、その人らが来た時点で、おれは「お荷物」になるな)と判断し、にーちゃんと後から来る人の気分が少しでも良くなるよう、提案してみた。

「好きな飲み物は、何ですか?」
「え?」
「昔、同じように困ってた時、通りがかった人が飲み物を買ってくれたことで大分気持ちが救われた経験があるんですよ。目の前の不運があった時、ちょっとでも…ほんのちょっとでも幸運があれば、気が休まる…まではないでしょうけど、気が紛れると思うんですよ…好きな飲み物は、何ですか?」
「じゃ、コーヒーで」
「銘柄まで言っていただけると、ソレ、バッチリ買ってきますよ」
「コーヒーであれば何でもいいです!(お辞儀)」
「分かりました!行ってきまーすっ!」

自動販売機まで走り、種類の違うコーヒーを2本買って、戻った。

「レッカー用の車でいらっしゃる方と合わせて2本買ってきました。どうぞ」
「ありがとうございますっ!!」

しばらく話をした。10分くらいだろうか。

若い人は、名刺を差し出して、言った。

「あの、おれ、そこの先の車屋に勤めていて、今日お世話になったのを返したいんで、車が必要になった時は…コーヒーまでご馳走になったし、是非ウチに買いに来てください!儲け度外視で提供させていただきます!」
「(コーヒー、数百円だよ。それを車の儲け度外視って…ま、触れんとこ)ありがとうございます。ぼくは名刺とか持てる身分じゃなくて、名刺、無いです。スミマセン」

ぼくは、こう言いながら、名刺を受け取った。
数分後、同僚の方がまたまたカマしているアメ車で登場してきた。

(あ、おれの出番終わった)と判断し、車屋の人たちに挨拶をして、その場を去った。

気分が良かった。




  
<6月19日>

【ギョウザパーティ、胃に餃子を、未来に仕事を】

流れで、ギョーザパーティへ、行ってきた。
ギョウザを食べてたら、パーティの主催者が「人手を探している」らしく、単発で成果報酬の仕事の打診があった。

「具体的に返事をしたいから、一回、現場を見せてー」と、頼んだ。あ、打診してきた人、同級生の社長(従業員、社長1人)。

胃袋はギョウザでいっぱいになり、未来は仕事でいっぱいになる(…と、仕事に使わされている感が出て、困るなぁ…)、未来に単発の仕事が楽しめる範囲で入ってくれると嬉しい。マジモード遊び感覚でできる物事(で、金銭的な実入りもある)が増えるといいな。




  
<6月18日>

【心の定位置】

一時期、日々の、のべ閲覧者数が、二桁になることがあった。
最近、一桁に戻った。

(あぁ、ホームグラウンドっつーか、定位置に戻ってきたな)という感じがした。

読まれている方々は、いろいろ熱くならない、ぬるい距離を保った定位置にいてくれるとうれしく思います。




  
<6月17日>

【学びもせずに働きもしない中であってもできること】

昨日の考えの上を、もうちょっと、歩いてみようと思った。


「自分の幸せになり他人の幸せにもなりえる行為」


これは、ニート状態で、できること。

学ぶとは、ニートという言葉の制限の意味で言えば、国や社会が提供する制度・機関に従事した形かどうか。
働くとは、ザックリと、生計を立てるために労役に就くこと。


「自分の幸せになり他人の幸せにもなりえる行為」


これは、この概念は、なーんか糸口になりそうな感じがしている。(弾力性のある論理として、ぼちーぼち、練っていこう)と、思った。





  
<6月16日>

【幸せを摘む先へ行きたい】

四葉のクローバーを見つけた時に、摘むのではなくて、



ここに、幸せ、あります



次の人のために、ネームプレートみたいな小さい「導」を置けるような人になりたいと思った。




  
<6月15日>

【幸運を探す力】

今日は、犬の散歩をした。
散歩の途中途中の田んぼの土手に、ちらほらとクローバーの群集があった。
四葉のクローバーを探しながら歩いていたら、ものの数分で、3つ、見つけた。

(幸せを探す力って、あるのかもな)と、思った。

子どもの頃は、躍起になりすぎて、あまり見つけることができなかった四葉のクローバー。今は、何気にサラリと見つけられたりする。

(自分に自然に生きていたら、知らず知らずのうち、幸せを探す力が身についてた?)など、思った。

採って帰ってた幸せは、3つとも、犬の飼い主に、渡した。

「これ、見つけたんで、どうぞ。より幸せになっていただきたいので」

昔はこっ恥ずかしくて言えなかったセリフも、自分の症状を知って、言えるようになった。




  
<6月14日>

【大人になったなぁ】

先日、マスクメロンを貰った。既に又貸しならぬまた貰い状態だ。
特に食べる気も起きなかったので、日頃お世話になっているし、健康施設へ持って行った。渡したら、よろこばれた。

(マスクメロンを人に渡せるなんて、おれも大人になったなぁ)と、思った。
チーズケーキを人に譲ることができた時と同じくらい、大人になった感を得られた。




  
<6月13日>

【昨日書いたものを提出した】

今日も、そのパートさんが入っていた。
信頼できる職員さんも、入っていた。

昨日書いたものにキャッチコピー的なA4用紙を添えて、職員さんに、プレゼンした。
パートさんに、周りや状況を見て、コミニュケーションするという変化が生まれた。よかった。
未来のおれが、また、ちょっと、ラクになった。




  
<6月12日>

【それは果たして誉めているのか】

日頃通っている健康施設内のプールで、ある出来事があった。コラムを書けそうな内容だったので、書くことにした。


日常と同じようにプールを活用した後、時間があったので、300mほど、ゆったりと、泳いだ。今日、新しく見たパートさんが他のプール利用者と話していたので、(割り入るのも申し訳ないな)と思い、5分ほど、待った。パートさんと利用者さんの歓談も終わり、世話になった職員さんを呼んで欲しい旨を伝えに行った。パートさんは2度ほど聞きなおして、動いてくれた。職員さんは業務が立て込んでいるらしく「そういう状況ならば、後日、お伝えします」と、ぼくはパートさんに頭を下げて、帰ろうと振り返った。シャワー室へ3歩ほど歩き出した時、そのパートさんは言った。

「泳ぎ、キレイですね!」

ぼくは、なぜだか、困惑しながら、振り返った。「泳ぎ、キレイですね!」とは、一見したところ、誉め言葉である。「誉められて嬉しくない人間はいない」という言葉を聞いたことがあるが、ぼくは、泳ぎをキレイだと言われたことが、その時、うれしくなかった。うれしくなかった理由を瞬時に理解することはできなかったが、パートさんは良かれと思って「泳ぎ、キレイですね!」と口にしたのだろうから、その気持ちを無碍にするのも心ないことだと考え、ぼくなりに、こたえた。知らず知らずのうちに、人差し指と中指で額を押さえていた。

「えぇーっと…」
「ゆっくりでいいですよ」
「(困惑するキッカケを作ったのはおれ?…まぁ、いいか)ぼくは、科学的に数百人から数万人に1人の変人です。…この施設に長くいらっしゃる方々から、ぼくの特徴を聞いていただけると助かります」
「えっ!?なにか、わたしがわるかったんですか?」
「わるくはないんです。世の中のほとんどの人は疑問に思わないことだろうから…大多数の人と仲良くできると思います。ただ、ぼくは、言動で人を判断するようで、ちょっと今、思考が立ち止まってるみたいなんです」

脳みそが軋んで眉間に寄った皺を指で押さえて気持ちを抑えていたら、職員さんが駆けてこられた。

信頼できる人が身近な空間に入ってきて安心した。(自分の特徴を、穏やかに伝えられそう)と思ったので、自分なりに、伝えた。

「ぼく、昔からの表現だと、竹を割ったような人・癇癪持ち」
「あーっ、分かるかも」
「(…ん??…ま、いいか)…小説家にいそうな変人…そんなタイプみたいです。人によって、感じ方が、大きく分けて『穏やかで優しい』と『激しすぎて怖い』とに、真っ二つになるみたいなんです。『激しすぎて怖い』関係はなるべく減らした方がお互いのためだと思うので、ぼくの特徴を把握されるまでは、静観していただけると平和だと思います。あ、ルールの範囲の中で動くよう心がけています」
「え?わたしがなにかわるかったんでしょうか?」
「わるいわけじゃないんです。今は穏やかなので柔らかく返せていますけど、ひとりで何かやってる時に、さっきみたいに『泳ぎ、キレイですね!』のようなことを言われると…誉め言葉なんでしょうけど、『ね!』が付くことで同意の半強制を引っ張ってきて…えー、例えば『プールはキレイに使ってくださいね!』な感じを受けるんです。で、(相手さんは同意を求めているから、おれは同意せないかんのかな?)とか思ったりします(「泳ぎ、キレイですね!」に同意すると女優さんがキレイですねと言われて謙遜しなかった場合、その場に流れる「エェェー!!?」な感じと構図、被る)…なので、ぼくの特徴が分かるまでは、静観していただけると助かります」

こんな感じのやり取りをした後、シャワーや着替えなどを済ませて、施設を後にした。
施設を出た後の家路で(なんで「泳ぎ、キレイですね!」と言われてうれしくなかったんだろう?)と、考えていた。原因というか、意味を、考えていた。

ある瞬間、パッ!と閃いた。論理が繋がった。

まず、ぼくとパートさんとは、友だちでもなければ、近所付き合いのあるような親しい間柄でもない。その間柄にあって、人と人との直接のコミニュケーションで、接客する側がタメ口を使えるということは、論理的に混乱する。

次に本題。

「泳ぎ、キレイですね!」とは、一見すると、誉め言葉だ。
ただ、今回の場合、泳ぎがキレイだと感じた対象を振り向かせる形で伝えている。

構図としては『させる』である。使役である。

「相手を振り向かせてまで想いを伝えたかった」という視点もあるだろうが、伝えたい対象は着替えた後でロビーを通るという事実があるので、「相手を振り向かせてまで想いを伝えたかった」のならば、受付やロビーで待機していれば、相手を使役させることなく、正対した形で、想いを伝えることができた。
「相手と自然に正対できる状況を整えて伝える」ではなく「相手を振り向かせて伝える」という行為は、配慮が足りず、思慮に欠ける。お互いが近しい間柄ならば理解できるし、資本主義社会にあって資本が絡んでいなければ、まだ分かる。家族や友だち、もしくは、お客さんからの使役ならば、理解できるのだ。しかし、今回のケースは、ほぼ初見に近い「施設員」と「利用者」という間柄で、業務としてその場所にいる施設員側が利用者を使役した。

今回のケースは「もてなす側がお客さん使役している」構図になる。

以上のことから、「泳ぎ、キレイですね!」という、誉めているように見えている言葉は、実は、パート業務に就いている本人が、泳ぎがキレイだと思ったことをアウトプットしたいがためのものだったのではないだろうか。

思ったことを放出することで自分が満足したかったのではないだろうか。今回の「泳ぎ、キレイですね!」という発言は、自分の欲求を満たしたいがための言葉なのではないだろうか。それは自己満足ではないのだろうか。

「泳ぎ、キレイですね!」の発言が、他者満足ではなく自己満足の発言で、実のところ相手を誉めていたワケではなければ、もしくは、ぼくが人間ではなければ、


「誉められて嬉しくない人間はいない」


このことは、今回のケースで、論理的に、成立する。
ぼくは、発達に欠陥があっても、人間でありたい。




  
<6月11日>

【子ども舌】


30を過ぎたおっさんが1日でソフトクリームを3本も食べるってどうよ!?




  
<6月10日>

【「0」「1」特性が有効に働く時】

ぼくは、物事を、「0」「1」で判断しているようだ。何度も何度も「0」「1」を繰り返して、その時の行動を決めているみたい。論理的な思考に基づいて動いているようなんだ。その論理が中庸とズレる率が、ぼくの変人具合なのだと、今なら分かる。

日常的に活用している健康増進施設に新しくパートさんが入ったみたいで、そこのチーフさんと懇意にさせていただいていて、ぼくの「0」「1」特性…つーか、性格・気質に関わる部分を理解してくださっていて、

「ぼくは、一事が万事0と1を細分化して判断しているようで、この特性は、ぼくが体験した(あら?なんかちがうんじゃ?)ってなことをケーススタディとして使えて、それは、職員さんやバイトさんパートさんのスキルアップに使えると思うんです。どーぞ、使ってください」
「ありがとうございます!(深々としたお礼付き)」

こういうやり取りがあって(深々と頭下げられたってことは、社交辞令じゃなさそうだな)と判断して、一コ一コ伝えてたらコストパフォーマンス(主に人件費)の面から申し訳ないなと思い、3つ溜まったら伝えるようしている。

で、今日、その新しいパートさんがされたことをケーススタディにして、伝えた。

概要は、
1.『常に問題が起きない状態を保って欲しい。問題が起きる前に手を打っていてほしい』
2.『問題が起きたなら、横着ではなくてミスなら、しゃーないので、アフターケアをしっかりして欲しい』
3.『今回、起きた問題は、センサーが蒸気に反応し続けてシャワーが出っ放しになったこと。プールに息絶えた状態の蜂が浮いていたこと』
4.『その2点について、パートさんに伝えたら、落ち度っていう落ち度はないのだが、いずれも「すみません」というリアクションだった』
5.『「すみません」に違和感を覚えて、ナガタさんとの違いをイメージしたら「すみません」の後に「ありがとうございます」があるかないかだった』
6.『感謝して欲しいわけではないが「すみません」で終わられると、なにか動いたぼくの方が悪者な感じを引っ張ってくる。「すみません(問題が起きたことに対する言動&本来、施設で働いている側の仕事した利用者に対する言葉)」の後に「ありがとうございます(善意を発端に良かれと思って動いたことが当たりだったことに対する言葉)」があると、理解できる』
こんなとこ。
新たに入ったパートさんとの出来事以外で気づいたことを、あと2つばかし伝えた。

ぼくとのやり取りを終えて1分以内にパートさんに伝えられていた。相手との人間関係を信頼しているから穏やかに伝えることができた。
(自分の持つ「0」「1」の特性が有効に働いた)と思った。
(自分の持つ「0」「1」特性を有効に働かせて、社会に対してプラスの還元をし、受け取る側の経済活動ができたら、家族も納得するのかな?就職はできそうに無いが、仕事はできるかもしれないな)と、思った。

ぼくの持つ「0」「1」特性が有効に働く場面を探してみようと思った。




  
<6月9日>

【女の子5人ほどに囲まれたメガネ】

たまーに会うくらいの女の子がいる。一週間に一度くらいかな。あ、小学校低学年か中学年くらいの子。

その子が友だちらと遊んでた。目が合った。女の子5人ほどが走り寄ってくるなり口々に質問を浴びせてきた。それなりに話す間柄なので(質問されてもいっか。答えたいように答えればいーし。答えないって答えもあるし)ラクに流せた。

「ねぇ!ねぇっ!!メガネじいさんって呼んでいーぃ?」
「いーよー」
「じゃあ、メガネおっさんは?」
「いーよー」
「じゃあ、メガネおじさんは?」
「いーよー」
「じゃあ、メガネじじいは?」
「いーよー」
「なんでもいいんだね!」
「対等な感じがあれば、いーよ」

「みんなからはなんて呼ばれてるの?」
「ウーン…えーと、アナタと同い年くらいの男の子からは『筋肉がモリモリだからモリモリくん!』って呼ばれてる」
「じゃあ!モリモリメガネだぁ!!」
「ブッ!!!(筋肉はドコいった??!筋肉モリモリから筋肉取れたら元の意味分からんやん!てか、モリモリメガネだったらメガネの上にメガネを掛けて、さらにその上にメガネを掛けて…メガネがにょぃーん!ってなるじゃないか!!…その絵すげーオモシロイじゃないか!)」
「「「モリモリメガネ!」」」
「おもろいっ!!…じゃ、ここではモリモリメガネで。ここでの通り名はモリモリメガネでいこうっ!」

と、いうわけで、ある女の子集団の中で、ぼくはモリモリメガネという名前になりました。

音の響きとかマヌケさ加減とか…その他いろいろ含めて、あまりにも気に入ったんで、年齢的なニート制限(ニートは35歳まで)を過ぎたら、Webネームを「モリモリメガネ」にしようかなと思っています。機会があったら35歳以下でも「モリモリメガネ」を名乗ると思います。

(メガネを何段重ねにしたら万人に「モリモリ」状態だと認められるんだろうか?)

楽しい疑問です。事実も空想するのも楽しい疑問。




  
<6月8日>

【さすがに「ニャー」ではなかった】


自分の腹から猫の鳴き声というか呻き声が聞こえた。低く伸びる「うをぉぉぉおおおぉぉ〜ん」のような音色だった。(腹の虫っつーより腹の猫だな)と思った。さすがに「ニャー」ではなかった。




  
<6月7日>

【ほんとにメンドクサイこの自分という個体】


24時間以上寝てない状態でフラついているのにも関わらず眠れない時間が続いた時は、我が事ながら、(ほんと、どうしてくれようか?)と思った。




  
<6月5日>

【近況報告の新しい使い方を思いついた】

6月4日の近況報告を書き上げたら「書き上げた日に書き上げたという近況報告」をします。

…え?6月5日で書き上げてないのかって??

うん!書き上げてないよっ!!(見事なまでに開き直って)




  
<6月4日>

【体ごとマンガの中に入ってきた】

ちょっと遠出して、井上雄彦「最後のマンガ展」に、行ってきた。
現地までの道程は省くとして、外で当日券を買って、エスカレータに乗って、またエスカレーターに乗って、美術館に到着した。

街中にある美術館内は、やはり、静かだった。

券を渡して、井上雄彦の世界に、入った。

デカイ。
額の外を見た。(外まではみ出したものを枠に収めているからダイナミックに放出しているんだろうなぁ)と、思った。

ぼくにとって平面だったマンガはしばらく進み、少しずつ、少しずつ、立体になっていった。立体を意識し始めた時に、少し斜めを見上げる横顔が、あった。

(これ、目線の先に、なんかいるな。そこに、あるべき絵があるはず)と思って、そっちを向いたら「得体の知れない影」があった。
(なーんか、もうちょっと威圧される感じがあった方が、わかるんだよなぁ)と思って、横顔の人と同い年の背丈を思い浮かべて、試しに座ってみた。

(うわっ!こわっ!)

横顔の視線にある「得体の知れない影」が「得体の知れない恐怖」へと変わった。畏怖なのかもしれない。座り方を正座に変えてみた。恐怖が威厳に変わった。座るのを止めて、膝立ちになった。およそ見上げる人と同じ背丈になったはずだ。

そこには、尊敬が、あった。

(これは、真剣に…というか、自我を解放して、観よう)と、決めた。自分のペースで閲覧するよう薦めていたので、遠慮なく、そうさせてもらうことにした。

物語は暗く進んで、描かないことで描く白を、目の当たりにした。

(うわっ!これすげぇ)

圧倒された。
正座して、観た。厚みを持って突き抜ける白が、背景へ繋がって、天へと昇っていた。
(あぁー、極めると、心は天に通じるのか)と、まざまざと、受けた。数分ほど正座して、頭・体・心の力を借りて、世界というか、空間の中に入っていった。形式上の入るではなく、ここで、本来の意味で、マンガの中に入ったと思う。

前後関係は忘れてしまったが、右足に傷のある武蔵が這っている一枚絵が、あった。
おれは、横に並んで、這ってみた。傍から観れば、変だと思うし、頭逝ってるようにみえることだろう。

(この左腕の筋肉の張りとか肘の角度、左脚小指の突っ張り具合、右手の力の入り具合、そして、右足ふくらはぎを刀で抉られた、この状態に合わせて実際に這ってみて初めて体感できること・理解できることって、あるはずだ)と考え、また相変わらず周りの目を気にせずに、実行した。

実際にやってみて、這って進むことに全労力を注ぎ込む感を、得た。

(これでさらに命が掛かってるんだろ〜。雨でぬかるんでいる地面を、ズリズリと、立っている人がいるかどうかも分からずに這ってるんだろぉ〜。こーれーはっ、これは、運だわ。生き残ったのは、マジ、運だわ。「オマエは生きれ、武蔵」ってことだったんだろーな)と床を這い進みながら、思った。俯瞰すると変人だ。マンガの中の武蔵は変人じゃないのに、隣で武蔵のように這っているおれは変人だ。現代とマンガの狭間にいる人から見れば(その行動は、変だけど、分かる)くらいの距離なのかもしれない。

しばらく物語りは進み、デカイ一枚絵が、やってきた。(その次の次でお礼しているから、お辞儀の先にこの絵があると思ったんだけどなぁ)と、思った。そして、その一枚絵を、また、観た。

下端に、頭の影が、あった。
(これは武蔵の頭の影だよな…で、後方斜め上からスポットライト。てーことは、あのスポットライトは太陽か。朝日なのか昼の日差しなのか夕焼けなのかは分からないけど、あのスポットライトが現場の光であることは、分かる)と思い、武蔵の頭の影と、自分の頭の影を、重ねた。

そこで、思った。

(ん?待てよ。武蔵の身長とおれの身長のズレの分、伝えたいことからズレてるんじゃ?)と考え、近くにいたスタッフに、聞いてみた。

「あのぉ〜、すみません。武蔵の身長って、分かりますか?」

その人はバイトさんらしく、上司に聞いたり、電話でさらに詳しい関係者に尋ねたりしてくれた。

「およそ180cmだそうです」
「ありがとうございます」

(大体合ってるのか。なーんか伝えたいことと…つーか、その絵を見る焦点からズレてたよーな気がするんだよなぁ)と思い、再度、その一枚絵の前に立った。

(あ、これ、ライトの具合で影が2方向に出てるや。こっちの方の影を合わせてみよー)と思い、頭の影を、動かした。ピントというか、お辞儀をしている相手と、目が合った。

2つ先の絵で武蔵がお辞儀しているように、その人に、お辞儀をした。

話は少し進み、武蔵の後ろに「ただならぬ気配」の男が立っている絵があった。
(振り返れば、コイツの絵があるな)と思い、振り返った。

鬼。

そんな顔があった。鬼の顔は、輪郭が分からないくらいに、ドデカく描かれていた。怒気が全面に出ていた。

(こんなんとは関わりあいたくねぇなぁ)と、思った。



<筆休め的、タイプ休憩中>






  
<6月3日>

【パソコンに触れることなく過ぎた日】

実感として知らない時代。

・電話が無かった時代。
・ラジオが無かった時代。
・テレビが無かった時代。

実感として知ってる時代。

・ファミコンが無かった時代。
・ケイタイが無かった時代。
・インターネットが無かった時代。

パソコンに触れることなく過ぎた一日は、昭和時代からの友だちと、一緒に過ごした一日だった。




  
<6月2日>

【おっさん達の憩いの温泉】

腰痛持ちになりつつあるまともな脳を持った友だちと、ちょっと気を抜いたら肩凝り再発!?な生まれつき脳のどっかがブッ壊れているおれとの利害が、「温泉」で一致して、温泉へ行った。

「あ?今、なんか温泉らしき看板なかった?」
「あったってことにして、ノリで行ってみよー!(行くかな?)」
「…行くか!」
「あら!?昔はその場で思いついたノリで動くのを拒否ってた君も変わったか!こっちの世界に入ってきたか!?」
「そっちの世界に入りゃしねーよ。今、温泉に浸かりたいんだ」
「あー、そうか。そうか。じゃぁ、そういうことにしといてやるよ
「オマエ、車、降りるか?」
「アハハハハハッ!!!」

こんな感じでノリで行く温泉を決めた。

入浴料、一人100円だった。

「今どき100円てスゲーな!」
「たぶん、近所の人に来てもらいたいからなんだろうな」

入ってみたら、小さめの浴場は、オッサンたちでいっぱいだった。

「こんばんはー」
「こんばんはー」

「お先に失礼しまーす」
「うぉ〜ぃ」

ガラガラガラと更衣室と風呂場の冊子を開ける時、ほとんどの人が何かしらの挨拶をしていた。(ほんとに近所の人らの憩いの温泉みたいだな)と思った。

おれも調子に乗って挨拶してみた。

「こんばんはー」
「ぶぉゎ〜」

うめいているのなんなのか分からない返事が、これまた年の検討もつかない爺さんから、聞こえた。(イイ!)と思った。

硫黄のにおいのする温泉を満喫した後、冊子を開けて、振り返って、言った。

「お先に失礼します」
「そぅぁ〜ぃ」

ワケワカラン、返事が来た。また(イイ!)と思った。

帰りの車中で、友だちが、言った。
「おまえ、誰か知り合いでもおったっや?」
「いや、おらん。風呂場に5人以上おらしたけんが、挨拶すると(おれじゃなかだけど、誰か知り合いのおらすとだろ?)って思わすかなぁ〜?って思って、挨拶したー」
「あぁ、そうや」
「人間関係っつーか、距離がなんともよかったなぁー」
「あぁ、そうだな」


(この車中の人間関係の距離もいいな)と思った。口には出さなかったけど。




  
<6月1日>

【○こも】

道路沿いにdocomoのお店があった。
そこから数十mほど進んだところに『ここも』と高々と掲げたお店があった。車屋かバイク屋だったような覚えがある。

(賢いっ!!この店賢いっ!!)と思った。

「docomoからチョイと先に進んで見える『ここも』の看板の店ですー」

客への道案内にdocomoという破格的知名度に便乗してるのもすごいし、ウソ言ってない(『ここも』お店です※何も電話のお店である必要はない。括り方を変えればよい…つーか、ぶっちゃけ店でなくてもよい。どこかしらで『ここも』が成り立てばよいのだから※)のもすごいし、何より母音(韻)が同じってのがスゴイ。そりゃぁ頭に残るよ。コピーの技術の一つに韻を踏むっつーのがあるらしいけど、全音、韻を踏んでて論理的に破綻が無く、それに関わるどちらもWin状態を作れるってスゲェわ。だって、おれ、なんだかんだいって、docomoって名前、今日の近況報告で4回も出してるもん。まるで「あーアレアレ、ソフトバンクの白い犬だよ」的に、人々が無自覚の内に日常会話でケイタイの会社を広告してる状態と同じだわ…あ、おれ、ケイタイ持ってないや。

何気にスゴイな、今どきケイタイ持っていないってとこも。








最寄りの近況報告へ