<3月29日>
【ショートコント:餞別】
「これ、3万円入ってるから(茶封筒を渡しながら)」
「なんで?」
「徹夜明けで眠いだろうし、向こうまでの移動中に、きっと寝るだろうから。財布と別のところに入れといて」
「ありがとう!じゃ、忘れないように表に『3万円』って書いとくね!」
「3万円って書いたら盗られちゃうよ」
「じゃぁ「3万円じゃありません」って書く!」
「それでも盗られるよ」
<3月26日>
【最も幸せな人生の一つの形】
自分の仕事と社会貢献が一致している。
そのことによって自分が生きていることが社会貢献につながっている。
そうすると人が作る社会に生きていて自己評価が高くなる。
結果、最も幸せな人生になる。
他にも最も幸せな人生の形はあるだろうけど、さっき思いついた形を、とりあえずメモ。
<3月19日>
【不条理か、理不尽か】
今日の洗濯物の9割近くが、後日、再度洗濯の運びとなった。
数日前にも天災と言えるかどうか分からない強風で似たような展開を経験したのだけど、今回は、タバコ。つまり、人災。
実は今日の洗濯は、体調が芳しくなく(でも洗濯はできるか)と、多少、気力を振り絞って臨んだこともあり、それが感情に拍車をかけたのか、辛かった。お日様に照らされて風に吹かれ、洗濯物は乾いていった…が、タバコの臭いが染み付いた。タバコNGの場所なのに、業者だからから、20分ほど吸っていたみたい。で、風邪に流れて乾かしている衣服にタバコの臭いが吸着。
泣きたいほど悔しかった。激しい憤りを覚えた。事実、少し涙が滲んだ。
(たかが洗濯で…)と思うかもしれないが、無理を推して遂行し、タバコさえ無ければ90%以上の満足度で洗濯物を取り込めたのに、全てオジャンになった。
これが自然から受けたことなら(しゃーない)と思えるのだが、近しくも無い他人から受けたこととなると、歯を食いしばって耐えるレベルだ。
不条理か、理不尽か。
自然から受ける手痛い仕打ちか、人から受ける筋の通ってないことかで、感情の動きが随分と異なることを、今日、洗濯物とタバコを通じて、痛感した。
規模は全く違うけど、巨大地震や津波は(しゃぁーない)と気持ちに諦める部分もあるのに比べて、原発は(許せん!)と感情が破裂しそうになるのと似ている。
不条理か、理不尽か。
「天災か人災かで反応は大きく変わる」という話し。
<3月17日>
【学ぶって吸収するってこと】
この頃、自主的に学ぶことが、中学生だった頃よりも多い。学んでいる質や量までは分からない。
子どもの頃、お勉強は、同学年で村一番レベルでできたのだが、村一番レベルじゃ、たかが知れている。今は「ごらんの有様だよ!」という状態だ。
ヘタに勉強ができたため、成人するまで、努力と苦労の違いすら分からずにいた。
同じ負荷の出来事が目の前にあったとして、意欲や意志を持って自分の成長のために行えば努力、受動的に「させられ」て嫌々行えば苦労。この感覚が分からなかった。今思えば、正直、中学生の頃、努力した記憶が無い。その時なりに苦労はしていたけど。
それが、このところ、上の壁(親・教師・先輩などが支配的になる瞬間)が無いためか、自主的に学ぶことが多い。自主的に学んでいて(学ぶって、本質的に、吸収するってことかも)と思った。
吸収というと「砂漠に水」という例えが、しばしば使われるけど、どっちかって言うと、イメージはドラゴンボールの感じだ。
「頭カラッポの方が夢詰め込める〜♪」ってヤツ。
おれの場合、詰め込むのは今のところ夢じゃないけど、できる限り頭カラッポにして素直に吸収していきたいと思っている。ここ数日で、原子力発電について、数日前よりも詳しくなった。
<3月16日>
【洗濯物、飛ぶ】
洗濯物が強風で飛んだ。
幸い手で取り集められる範囲で済んだ。
洗濯した8割〜9割ほどが、後日、再度洗濯への運びとなった。
普段なら軽く落ち込むところだが、被災地の方々のことが脳裏を過ぎったのか(えぇわ、えぇわ、このくらい。「水が自由に使える」「明日に回せる」って条件下で生活できてる。だから、今は、もう充分)と、物干し竿から飛び立ち着地した洗濯物らを集めながら、思った。
見える景色は日常で、脳裏には終末が流れ見え、混乱することもあるけれど、私は元気です(魔女の箒と黒猫のキキを探しながら)。
<3月15日>
【脳が物凄く疲れている】
おそらく、自分の物理的な近辺は平穏そのもので、Web越しの情報は終末的で、脳が「同じ日本でのこと」と処理できずに「0」「1」人間としては「生きてて脳が常に混乱」の状態だからだと思う。
経済的貧弱者の自分には、もう、できることはほとんどないし、かといって、組織体に所属して働こうと頑張ったらかえって迷惑になることが多いし。どないせい、っちゅーねん…。短期的にも長期的にも選択肢が少ないことが圧し掛かってくる。
なので、やっぱり「いつも通り普通に過ごす」という形に落ち着くのだと思う。
<3月14日>
【手につかない】
元々、生まれ持った性質で「注意の切り替え」が困難なんだけど、今は拍車が掛かって手につかない。
<3月13日>
【いつも通り普通に】
自分にできることは、もう、いつも通り普通に過ごすことに切り替わったと思う。
<3月12日>
【治療費】
自分に納得して送れる範囲で義援金という名の治療費を送った。去年、稼いでて良かった。プロジェクトに参加させてくれて、ありがとう。おかげで、今回、お金を送ることができました。
<3月11日>
【記録として】
・2011年3月11日午後2時46分、東北地方太平洋沖地震が発生。
・マグニチュード8、8〜8、9。地震の種類は異なるが、阪神大震災の180倍ほどの規模。
・10mを越す津波が宮城県名取川など複数個所で確認。
・国内観測史上最大。東日本巨大地震・東日本大震災という表現でも足りないくらいの世界規模の地震。
・1900年以降、世界で起きた地震の中で5番目の規模。
感情を持った一個人として事務的な表現で書けば書くほど泣きそうになる。
<3月9日>
【健全な身体には健全な精神が宿る的な】
(物理的にスッキリ・サッパリしたら、精神的にスッキリ・サッパリするかな?)と思ってバリカンを使い五厘にした。
<3月6日>
【頭脳フル回転】
日々、2時間〜3時間掛かることを、続けている。2セットすると、4時間〜6時間だ。3セットすると6時間〜9時間。頭を酷使…とまではいかないか、でも、頭、思考と言う形でゴリゴリ使うこと。
(1日8時間働いているって、すげーな)って思う。作業だと頭脳の疲労は軽いものの、作業でも創造でも、1日8時間働いている人って、すごいと思う。
ブログの記事で5時間くらいで、今、日常的にやってることで1セット2〜3時間。それで、おれ、脳に乳酸が溜まって、ぐてぇ〜、ってなるのに。
さーて、日々取り組んでいること、今日の分、1セットはしよーっと。
<3月3日>
【面白くなりたい】
職業に就いていないぼくは、多くの人よりも仕事を積み重ねていないのは、確実だろう。
そんなぼくが生きる道というのは、生まれながらに治らない特徴の自閉症をプラスに捉えると「面白い」という形だ。より自分に寄り添うと「変」なのだけど、「変になりたい」っていうと、まぁ、なりたいんだけど、既に変でもあり、変になっていったら、ますます取り返しのつかない方向に進んで行きそうなので、却下方向での保留。で、変を一般的にスーッと使える言葉に言い換えると「ユニーク」なのだろうけど「ユニークになりたい」って言葉は「むしろユニークから遠ざかっている感」もあるので、もっと違う表現の方が良いって分かる。
と、いうわけでの、面白くなりたい、だ。
ほんとーに面白くなれば…というか、希少価値の高い面白さを手に入れて伝わるように表現できたら、経歴とかそういうの関係なく、生きていけると思う。これは直感。
面白くなる…道のりは遠いけど、だからと言って何もしないと停滞したままだし、停滞したままってのは面白いから離れてるってのは分かるんで「これを真面目に続ければ面白くなるよ」って言われている活動に真摯に取り組んでいく所存でいる。
<3月1日>
【心の不具合、表に】
心がモヤモヤしている。
10日以上も寝込んでいたら、そりゃ、いろいろ溜まって、(もともと置いていかれているんだけど、なぜか、さらに)置いていかれた感もあって、自分で一度に処理できない感情が表出してきているんだと思う。
カンボジアで地雷を踏んで片足を亡くした子どもが、自分でもぎ取った形ではなく、ふとした幸運で義足を手に入れて、歩けるようになったら、心が不安定になった…ってのと似てるかもしれない。
寝込んでいる時は、体を治すことに精一杯。体を治すことに、体も心も時間も、集中させてたんだけど、体が治ったら心に不具合が出てて(さーて、どうしたもんかね、こりゃ)といった感じなのだろう。どーにか自分を客観視できている部分があるから、心の不具合、たまねぎの皮を一枚一枚剥がすように、解かせていきたいな。